さっきニュースをみたら、「新しい歴史教科書を作る会」の藤岡が、沖縄戦で日本軍が自決に関与したことを教科書会社が抹消したことに対し怒った沖縄県民の集会に対して、大変冒涜するようなことを言っていた。
藤岡曰く、「11万5千人が参加したというけれど、実態は1万人に過ぎない」。
よくも、まあ、いけしゃしゃとそんなことが言えるものだ。
実際集会に参加もしていない人間が、よくもまあ見てきたようにそんなことが言えるものだ。
確かに11万人も参加してはいないかもしれない。大概集会やコンサートは大体で数を発表するものだからだ。
しかし、多くの沖縄県民が怒っているという事実を、「数の問題」に矮小化しようとするところに彼の人間としての浅はかさを感じる。沖縄県民の声を「少数派」として切り捨てたい、そんな政治的な思惑がみえみえな発言だ。
だいたい、彼らが作成した「新しい歴史教科書」では、かつての侵略戦争を賛美し、南京大虐殺や従軍慰安婦問題の抹消ばかりか、日本の戦争被害である長崎・広島の原爆被害のことすらまともに扱ってはいない。
そこまでして戦争の悲惨さ、残虐性を隠蔽し、更には、それに抗議する声まで踏みにじって彼らが成し遂げたいことは何なのか、私達は考えるべきだろう。
それは、どう考えても、戦争への否定感のない人間の量産、それ以外の目的などありえないだろう。
戦争への道はまずは「教育」から。それはいつの時代でも同じだ。
国が自分達にとって都合が良いように歴史の改竄をするときは、絶対何かしようとしているときと考えて間違いない。
こういうイデオローグみたいな人間に限って、決して自分が戦争に行こうなんて思ってやしない。戦争でいつも辛い思いをさせられるには、私達一般庶民。
自民党や財界の息の掛かった藤岡グループによって洗脳されたところで、犠牲になるだけなのが一般庶民の定め。
かれらは国民を、単なる戦争の駒としかみてない。いつも自分達は安全な所に身をおいて高見の見物。小泉が良い例ではないか。靖国に参拝して特攻隊を賛美しておいて、自分は一度でもイラクやアフガニスタンの戦場に行ったことがあるか?
一般庶民を戦争の駒みたいに思ってる、そんなやつらに好き勝手言わせてはならない。
まさに社会の害悪藤岡一派。こんな戦争賛美の人間が闊歩する限り、子供にどうして、「人を殺してはいけない」などと教育できるだろう?
それはアメリカと言う国が国家的にヤンキーよろしくイラクやアフガンに侵略戦争していることに子供達も規定されて、学校で銃をぶっ放すのと同じだ。まさに、子供は社会の鏡です。